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03:札幌市営路面電車  
札幌市交通局 A2000型連接車(現在)
札幌市交通局A900型車両解説
 

「地下鉄の緩行線」として大きな輸送力を求められていた4系統中島公園線や、大通沿いに線路が敷きなおされた1系統山鼻線大通〜西15丁目間には近代化以前からの連接車A800〜A830、鉄北線廃止後は旧型車・ディーゼル車改造連結車A850・A870・A880も優先的に当てられていたが、 オリンピックを前にして初期連接車でありパッセンジャーフローに対応のため扉増設などを行ったA800、810や旧型車ベースのA850などは老朽化しつつあった。 A820、A830、A870、A880は新造に近い近代化改装を行い使い続ける事が決まっていたが、これら初期連接車・連結車は順次淘汰するべきとの結論から、約20年ぶりに市内線への新型連接車導入が1981(昭和56)年末に決定した。この新型車導入計画の途中でシュタットバーン構想に基づく市電東西線が開業したことがこのA900誕生の理由である。

東西線は将来的に地下線区間へ国鉄からの乗り入れ車両が入線することを念頭において設計されていたことから、通常の鉄道線並のプラットホームを設け、それに合わせて地上専用軌道区間・併用軌道区間もかさ上げホームを設置し、車内からステップを排除していた。併用軌道区間もかさ上げ構造としたことにより、従来の高いステップをよじ登る市電のイメージがあった市民からは好評となり、開業前から「市内線もかさ上げ化してほしい」と言う意見が多数寄せられ始めた。だが、大通・南一条通の拡幅に合わせて建設したおかげで地上高さが高く、幅の広い停留所を建設できた東西線と違い、市内線は山鼻西線等道路拡幅が不可能に近いところが多く、停留所拡幅を伴うホームかさ上げは除雪の関係もあり不可能と言わざるを得なかった。
だが、東西線に比べて市内線の電車が使いにくいと言う意見は確かであり、市交通局でもこの落差を埋める策を考えていた。
その中で、上層部の記憶にあった車両が有った。

かつて東急玉川線に投入され、好評を博したがその懲りすぎた設計が災いして短命に終わった
「時代を先取りしすぎた悲運の名車」東急玉川線デハ200型である。
「ペコちゃん」の愛称で知られるこの車両、台車の車輪に510mmと言う小口径車輪を用いる事で床面の地上高さを低くし、(590mm)ワンステップ化を計った車両であった。

東急デハ200型

オリンピックを前にした市電近代化策のもう一つの目玉としての「低床型新車導入」。
地味ではあるが、インパクトはかなりのものがあると判断した市交通局では計画を承認し、早速東急車輛へ発注された。
  東急車輛側にはまだ200型の設計開発に関わったスタッフも多く在籍しており、「乗り降りに便利な低床車」は今後の売りになると上層部を説き伏せ, デハ200型後継とも言えるワンステップ低床車は東急玉川線廃止以来十数年ぶりに札幌の地で復活する事となった。
 デハ200型が短命に終わった原因はスペインのタルゴに範を取った一軸連接方式が耐久性の面で問題があった事、動力台車まで小径車輪としたために区動機系が複雑化、保守整備サイドからクレームが酷かったこと。強度・剛性が低くなるほどの軽量化により、車両の寿命自体も短くなってしまったことが挙げられる。 これに対しては両端台車に関しては通常型の610mm車輪(住友金属製FS318)として、無動力の中間台車付近のみ車輪直径500mmの2軸ボギーを採用。 重量が一点にかからないためのバランスリンクを設けるなどの対策を取っている。
 車体設計も当時広島電鉄や長崎電軌に導入されていた軽快電車のそれを範としたオーソドックスな構造とされたが、A830型以上の客さばき能力を有する必要上から扉は大型の4枚折り戸片面3扉が必要と判断され、A830並の車体サイズでは部分低床構造による車体段差の関係上ドア設置がしにくいと言う事で国産初のセミフロート構造を導入。両端車8.5m、中間台車を全長5mの中間車とする札幌市営初の3車体連接車となった(パセンジャーフロー用の車掌台は低床部に設置)。これにより全長は22.5mと市内線用車両としては最大の車両(Tc1型連結時のM101型を除く)となり、堂々とした姿となった。前面デザインは当時流行のキュービックスタイル・スケルトンフェイスを基本としたデザインであり、この顔は1987(昭和62)年に阪堺電軌に導入された700型電車に継承されている。また、車内設備も東西線用A2000型同様従来のシート生地をビニールレザーからファブリックへ変更し、印象を変えている。
  また、全ての制御機器を屋上に搭載した事により、雪対策の観点から熊本市交通局8200型(日本車両製)に次いで札幌市初のVVVFインバーター制御を採用したが、初期の逆導通サイリスタゆえに思ったより重くなってしまい、効果は薄かったようである。

             

低床部概念図

この札幌市ワンステップ車第一号であるA900型は83年9月に市内線に3両編成3本が試験的に導入され、 乗り降りが格段に楽になったと利用客からは好評を得た。が、ノンステップ車A910/930型・100%低床ワンマン車A950型登場以降はバリアフリーという点では見劣りする面もあり、東4丁目車庫(サッポロファクトリー地下車庫)へ移動し、VVVFインバータを逆導通サイリスタからIGBTへ交換、冷房化などを経て輸送力の大きさを活かし主に4系統中島公園線や7系統大通線運用についている。

■コメント

 こういうサイトに来られる方なら、一度はその名前を聞いたことのある東急玉川線のペコちゃんことデハ200型連接車。
  ある意味時代の仇華とも言えるこの車両、当時は欧米でも低床車の概念は無かった1955年に同じく東急の旧5000系の路面電車版として設計され、直角カルダン駆動や小直径車輪による低床化など今騒がれているLRVを先取りした非常に斬新な車両でした。デハ200自体は時代の仇華に成ってしまいましたが、この車両の発展系を出してみたいと言う気持ちがこのA900型には込められています。
まぁ、札幌にはもうひとつ時代の仇華とも言えるA830型連接車が居ましたから札幌で活躍させてみたかったと言う意味合いも有ったりしますけどね(笑)。

部分低床化はパッセンジャーフローの観点から行くとスペースの無駄が多いとは思いますが、80年代初めにいきなり100%超低床は無理があると思うのと、デハ200の欠点のひとつが駆動軸まで小直径化したことにより台車のメンテナンスや電動機が故障しやすくなった事があげられていたため、ほぼ30年ぶりの新設計であるA900型あえて両端台車を普通のモノにして安定性を取ったと言うことで。世界初のノンステ車であるグルノーブルの車両も両端台車は通常構造でしたからね。デザインはデハ200との差別化と時代の流行を考慮してあえて角ばったキュービックスタイル。顔は東急製と言う事で少々無茶ですが阪堺電軌の700型に近い顔にしています。 折り扉採用は戸袋窓を作ると開閉可能な窓が少なくなり、夏にシャレにならないことになりそうだったためです(笑)一応バス用のモノを用いてる想定で。ドア枚数こそA830型と同じ片側3枚。後ろ乗り前下車ですが、全て4枚にする事で相当客裁きが良くなったと思っています。

車両詳細
製造初年 1983(昭和58)年 台車形式 両端台車:住友金属製FS318型台車
(積層ゴム軸箱支持/空気バネ方式)
連接台車:東急車輛製TS935型台車
(積層ゴム軸箱支持/空気バネ方式)
改造初年   電動機・駆動形式 MB-5005A(120Kw)片軸のみ駆動
編成あたり2基
全長(3車体連接) 22500mm(8500mm+5000mm+8500mm) パンタグラフ形式 東洋電機製PT-710(バネ上昇式Zパンタ)
全幅 2230mm 制御方式 逆導通サイリスタVVVFインバータ制御
(IC1M)三菱電機製
全高(パンタ折り畳み面) 3315mm ブレーキ方式 発電ブレーキ併用電気指令空気ブレーキ
重量 13.0t(両端A/B車)/8.5t(中間C車) 運転最高速度(加減速度) 65km/h(加速3.5km/s。減速4.0km/s)
乗客数 160名(75+10+75) 在籍両数 三連接X3本 計9両
製造メーカー 東急車輛株式会社    
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