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03:札幌市営路面電車  
札幌市交通局市内線 A101型連接車(2003年)
札幌市交通局A101型車両解説
 

地下鉄南北線開業とそれにあわせた札幌市電市内線の「大改廃」後、西4丁目線が延長されて誕生した中島公園線札幌駅前〜中島公園間は地下鉄の緩行線と言う位置づけのためか、ラッシュアワーのみならずデータイムでも単行車両が当たる便は満員の札を出して走る状態であった。このため中島公園線を走る4系統は連接車A800シリーズや連結車A850、870が優先的にまわされ、1981年(昭和56)年の鉄北線北24条〜新琴似間完全廃止を前に連接・連接車をすべて幌北車庫から山鼻電車事業所へ移管する騒動になっていた。保留されていたD1040型路面ディーゼル車を改造したA880型連結車が1979(昭和54)年に投入されていたが、種車の関係上たった一編成だけの上に軽快電車計画の実験用としてサイリスタチョッパ制御、発電ブレーキなどの新機軸を大量投入されたこの車両は現場からはあまり評判がよくなく、扱いやすく収容人数の多い車両が求められていた。

無論、新型連接車の導入は幾度も遡上に上がっていたのだが、当時は市電東西線用車両が当初予定していた連接車のみならず単行運転用車両まで用意せねばならなくなるなど騒然としており、この上市内線用大型車の導入計画は予算面で厳しい、と市議会では交通局に対して釘を刺していた。
  どうにか予算をねじ込み、新型車開発のめどはつけたものの新型車は部分低床構造をとるため設計製作に時間がかかり、投入できるのは少なくともオリンピック直前の1982(昭和57)年以降となってしまうことが判明した。これが後のA900型である。

やむを得ず、当時既存車両のリニューアルを進めていた電車事業部側では「親子電車」M101のリニューアルを機にM101を連結車として復活させてしまおう…と言うことを決定した。M101は1961(昭和36)年にラッシュ時の輸送力確保の対策案のひとつとして生まれた車両で、専用トレーラー車Tc1をラッシュ時には連結し、データイムは外すことで効率の良い車両運用を…と言うのがコンセプトであったが、完全に独立した2両同士であり、連結時に車掌の二人乗務が必要なこと、パッセンジャーフローが出来ない、データイム時にTc1が丸々浮いてしまうなど無駄な面が多く、1970(昭和45)年以降Tc1を休車扱いの上、M101を鉄北線用ワンマン車として幌北車庫へ回していたのだ。

休車状態のTc1と言う存在とM101、これを再度永久連結車として復帰させる。検討の結果比較的低予算で実行可能と判断されたため、1980(昭和55)年10月、鉄北線廃止を前にM101は休車扱いとなり札幌交通機械(株)へ回送された上、Tc1と10年ぶりの再会を果たした。

改造箇所はTc1の連結面とM101の1位側運転台、それぞれから1M程を切断し、両方の連結面を成型した上でA870型と同様の円盤型支持装置と永久連結器、さらに車間ダンパー、電気引きとおし線、貫通幌を設置した。それと合わせて車内もシートのビニールレザーから起毛モケットへの張替え、内装パネルのアルミデコラ化などを行い、明るいものへと一新された。システム的にはもともとトレーラー牽引用として40kw2軸駆動(それぞれの片軸のみを駆動する)だったM101に合わせてTc1側も同じ台車であることを活かし、付随台車側にモーターを設置。これにより札幌市内線連接・連結車としては初の4軸駆動となり、従来の連接・連結車で登るのが難しいといわれていたすすきの〜中島公園間の勾配を登るのが一番楽な車両と呼ばれることになった。

形式名は当初1981年導入と言うことでA8100型とする案もあったが、M101の改良ということもあり、M+Tc(親子方式)からArticulate(間接式・札幌市電では連結・連接車の識別用として形式名に用いられる)への変更と言う事で単純にA101でよい、と言うことになり、それが採用された。また、この時期は札幌市電連接車の形式名が法改正に伴い一編成一両扱いへ変更され始めており、このA101型も元Tc1をA車、元M101をB車として一両扱いとなっている。

1981(昭和56)年4月に竣工し、中島公園線へ投入。これにより収容人数の多い車両を一編成だけとは言え増やせたことで扱いやすいスペックと相まって焼け石に水とはいえ中島公園線のラッシュ対策をA900型導入まで支えることに成功した、と評価されている。

A900・930登場後は中島公園線から山鼻線や苗穂線へ回る事が多く、ラッシュ時専用車の意味合いが強くなっている。なお、パンタグラフこそシングルアーム化されているものの1995(平成7)年以降行われた市電市内線車両のCI塗装(バークグリーン+ライトアイボリー)化が唯一行われておらず、市電全盛期の1960年代の雰囲気を今に伝える唯一の車両として近年は名物車両の扱いを受けているようである。

■コメント

 1966(昭和41)年以降、史実とまったく違う道をたどった捏造世界。されど史実とそれまでは同じであり、違う道をたどった場合は史実とまったく違う姿に史実に存在する車両が変貌していることだってありえるわけで…と言うことで最近は札幌市電のマスコット的存在のM101を永久連結車として魔改造してみました(笑)こんな無茶するなら他から連接車もらったほうがいいんじゃないの?といわれそうですが、車体幅の狭い札幌市電市内線だと、廃止時期の近い他の地域の路面電車車両で丁度いいのが見事に無いんですよね…。そのためM101をTc1と再会させた上でこんな無茶な改造を施して見ました。

連結車としてのモデルは同じく市内線にディーゼル車改造で投入されたA870型連結車。この車両自体はあまり評価良くなかったようですが、モデルとしては丁度いいのはこれだったと言うことで。塗装は史実に合わせてCiカラーへの変更は行わず、デザートイエロー+ダークグリーンのままとしています。このデザートイエロー。IllustratorのRGBスライダーでは非常に調整が難しく、色合いが崩れる危険性を承知でCMYKスライダーで調整しました。結果としてどーもヨモギ色のような色合いになってしまいましたね…。以前A830の擬人化イラストを描いた時もこの色の調整には悩んでおり、どうも相性がよくないようです(笑)

車両詳細
製造初年 1961(昭和36)年 台車形式 日本車両製N-104
改造初年 1981(昭和56)年 電動機・駆動形式 SN-50(40Kw)片軸のみ駆動・つりかけ駆動方式。
編成あたり4基
全長(2車体永久連結)

22700mm(10200mm+102000mm)

パンタグラフ形式 東洋電機製PT-710(バネ上昇式シングルアーム)
全幅 2230mm 制御方式 間接自動・抵抗制御
全高(パンタ折り畳み面) 3515mm ブレーキ方式 自動空気ブレーキ
重量 25.6t(a、b各車12.5t+連結器など重量) 運転最高速度(加減速度) 65km/h(加速3.0km/s。減速3.5km/s)
乗客数 190名(95+95) 在籍両数 2連X1本 計1両
製造メーカー 日本車両株式会社愛知製作所    
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