2003(平成15)年7月の定鉄石狩線開業に合わせて導入された札幌市営地下鉄最新鋭車両。首都圏近郊路線並の輸送密度を持つ地下鉄南北線新琴似〜定鉄本線西石山間へのラッシュ対応から、札幌圏初の両引き4扉車となった。
定鉄石狩線は第3セクター札幌港湾開発が第3種事業者として線路の建設・保有を行い、定鉄に第2種事業者として運行・保守を委託すると言う形をとってるのだが、
表向きは定鉄石狩線として通って居る。沿線人口規模が6万人以上、さらに隣接する2つの村を広域合併すること増えるであろう石狩市を主とするこの区間の開業がただでさえ混雑が激しい南北線北部区間の混雑をより激しくするのは目に見えており、そのためにも輸送力の大きな車両は必須であった。また、定鉄も近代化当時からの主力であった2400系の老朽化が著しく、増発および旧型置き換え用の新車導入は急務ともいえた。
そのため札幌市営の車両メインサプライヤーであった東急車輛からは当時JR東日本と共同開発中であった209系後継となる一般型車両(後のE231系)をベースとしたものを提案されたのだが、勾配が連続する定鉄本線真駒内南町〜石山間に合わせるとなるとE231系のシステムではオールM方式を取らざるを得ず、製造コストが跳ね上がる事。またステンレス車体への不信感が札幌市営および定鉄内部にあったこともあり、E231系ベースの車両開発は却下されることとなった。定鉄と札幌市営地下鉄を一種の技術実験場兼ショウルームとしていた東急車輛としては、かなり衝撃的であったとも言われている。
そこで代案として川崎重工から提案されたのが当時日立製作所および川崎重工の共同開発で製作が行われていた摩擦攪拌溶接工法(FSW)を用いたアルミ押し出し成型ダブルスキン構造体による規格型車両「A-Train」タイプの車両である。当時まだこの規格はJR九州817系や西武鉄道20000系など限られた車両に使われて居たものであり、決して低コスト車両とは言えないものであったのだが「アルミ車はステンレス車に比べて車体が弱い」という評価をひっくり返したいと言う川崎と日立の思惑が北海道都市近郊鉄道でのA-Train車両採用を強く働きかけたらしい(JR北海道の特急用振り子気動車にアルミ車体を提案したが、メンテナンスフリーや踏み切り事故対策(アルミ製車体は部分的に普通鋼を使うことが出来ない)などの観点から結局ステンレス車体にされてしまった経緯があるらしい)。だが、親会社東急との絡みで川崎製車両導入が難しい定鉄との兼ね合いで表向きは川崎・日立と東急が共通した規格に基づき、それぞれ札幌市向けと定鉄向けを製造する形となった。そのため、車両のディメンションに関しては東急側の意向が働き、A-Train規格とは言え全長・横幅などは当時設計中であったE231系500番台に近くなった。これは東急側が可能な限りE231系の部品を転用することでコストダウンを図れないか?という提案をしていた事の反映とも受け取れる。だが、他のA-TRAIN規格車両では標準になっている張り上げ屋根と雨樋の埋め込みが積雪時の凍結による車体腐食を嫌い露出している事や、通常連結面に露出している圧縮空気パイプや高圧配線が連結棒や車体内部に埋め込まれている、半自動スイッチ標準装備や4扉のうち中央2扉が冬季のデータイム時に締め切り可能であるなど北国仕様独特の要素が垣間見える。なお、このことが後にJR東日本E257系やE993系ACトレインなどのアルミダブルスキン車両を東急車輛が共同とはいえ受注できたことにつながったらしい。
輸送力確保の観点から市営側編成は新琴似〜簾舞間に運用を特化した7両固定編成(この区間のホーム最大有効長は20m車8両編成(13.8m連接車10両編成)まで確保されている)とし、勾配とカーブの多い地上区間で最高速度を100km/hから110km/hへあげるためにMT比を4M3Tとし、コストと性能のバランスを取った。だが、分割併合が求められた定鉄車両との設計共通化の絡みからMT比率の調整が必要であり、積雪時の勾配に対応する必要から先頭電動車方式が求められたため、先頭車の重量増大を嫌い直流車両としては異色のM+Ta(電動車+付随車)ユニット+MM’ユニット併用という組み合わせとなった。このユニット構成はJR北海道の特急用車両としては781系以来の伝統であったが、通勤車両に導入されたのは本形式がはじめてである。
2002(平成14)年10月に第一陣が登場した後、一年置きに2〜3編成が導入されているが、2007(平成19)年以降は1000系置き換えを目的とした大量増備が行われることが決まっており、新しい札幌市営地下鉄の顔として期待が寄せられている。
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