当初、東急製のA2000型連接車だけで運行する予定であった市電東西線だが、早朝ラッシュ時に併用軌道上で認められるはずだった連接車重連編成による客扱いが結局認められなかったため、言うならば慣行運転を行うためのワンマン対応車両および大通〜琴似間運転用として導入されたのがこの500型である。
投入決定から開業まで時間が無かった事や、地下鉄南北線開業以来札幌市交通局への車両独占供給状態であった東急車輛がこの時期、他に大型の受注を抱えてしまい新規に車両を設計製造する時間がなくなっていたことから、新たに川崎重工に対して発注されることとなった。
川崎重工はかつて、1972年のオリンピック開催地からの落選以前、当時進行中であったゴムタイヤ方式地下鉄の開発で札幌市へ支援をしていたことは有ったが、地下鉄建設に許可が下りなかったために中間を取り持っていた商社である丸紅の投資が無くなり、関係も途切れていた。今回の受注は海外輸出用路面電車で成功を収め、さらに当時国内でわずかながら盛り上がっていた軽快電車と呼ばれる高性能路面電車の市場に食い込もうとする川崎としては名誉挽回の意味も含めてなんとしてでも受けたいことであったようだ。
(当時、軽快電車と呼ばれる高性能路面電車は主にアルナ工機(現アルナ車両)が主体となって製造していた)
車体設計は
1980(昭和55)年に米フィラデルフィア交通公社(SEPTA)へ導入された路面電車用車両を基本とした大型車体を採用している。これは設計期間の短縮化と、A2000型と同様新規建設路線ゆえの路面電車としては非常に余裕のある車両限界をフルに使うことで東西線の膨大な輸送人口に対応することを目的としている。車体の外見に関してはベースとなったSEPTA用車両と同様当時流行のスケルトンスタイルを基本としているが、全長18mのSEPTA用車両に対して併用軌道にあわせて車体を路面電車標準の全長15mまで短縮し、菊水〜西18丁目間の地下トンネル区間への対応やラッシュ時の連結運転を考慮した貫通扉を設けた。さらにワンマン運転時の料金収受の関係からベース車両では車体両端、片側のみであった乗客用扉を日本式の中乗り前降りに対応した先頭中間/両側配置へ変更されている。その割りに全体の印象が変わってないのは札幌市交通局の上層部が製造元である川崎重工兵庫工場を訪れた際にSEPTA用車両の外見を気に入り、「可能な限りコレに近づけてくれ」と川崎側に伝えたためとも言われている。
SEPTA用車両では「バイアメリカン法(米国公共機関で使うものは可能な限り国産部品を用いる)」のためアメリカ製部品が用いられた乗客ドアや座席などの車内設備、台車や制御系などの床下機器は国産のバス用部品やA2000型と共通の部品を用いてまとめられている。そのため川崎製非国鉄(JR)向け車両としては珍しく、東急製であるTS910型台車を履いているのが特長である。以前より京浜急行向けの東急製車両が川崎製台車を履いているなどの事は有ったが、逆に川崎製車両が東急製台車を履いているケースは珍しい。地下鉄用台車を用いたため路面電車としては120kwと言う高出力モーターを全軸駆動すると言う驚異的なスペックを持ち、重連で南郷20丁目〜大谷地間にある厚別川橋梁の急勾配を70km/hで軽々と駆け上る様はまさにヨーロッパのLRTを彷彿とさせてくれる。
東西線開業時に24両、さらに1986(昭和61)年に8両が増備され、計32両が今も昼間は単行で、ラッシュ時は2両あるいは3両連結で活躍している。1995(平成7)年以降、札幌市交通局のCI政策で塗装を東西線ラインカラーであるオレンジ基調のものに変更の上冷房改造され、大きく印象を変えた。元々ヨーロッパ風の内開き窓のため風の流入が悪く、夏場は乗客から不満が出ていただけに冷房化は大きく評価を上げたようである。他にも東西線の自動運転・信号管理システムの比較実験(JR北海道が除雪車用に開発したGPS運行管理システムとトヨタ自動車開発のIMTSによる運行管理システム)に改造されるなど、試験用途に使われることも多い。なお、500型という形式名は札幌市電では市内線に昭和23年に導入された日本鉄道自動車(現東洋工機)製のボギー車で一度使われており、この500型は2代目に当たる。
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