1978(昭和53)年の地下鉄南北線北24条〜澄川間開業にあわせて東急車輛で製造された車両。当初市電東西線にも投入される予定であったため、
カーブが多くなる市電区間での走行を想定して13.8mオールアルミ2車体連接重連4両1ユニット構成で製造された。
車体デザインは市電連接車の流れを汲む大きな部分固定式の側窓が特徴的な半流線型のフォルムで、営団(現東京地下鉄)6000系の影響を受けて貫通扉を右にオフセットした当時としては非常に近代的なデザインで現れ、関係者の度肝を抜いた。
制御機器は当時大手私鉄や各地方の地下鉄で採用が進んでいた電機子チョッパ制御を用いているが、雪対策の観点で国鉄711系を参考にした無接点化が
かなりの面で図られ、モーターも711系で実績のあるMT54A型同型品であるHS-22436-03RB(西武鉄道新101系と同じ)を搭載している。(国鉄201/203系は専用の複巻モーターMT60を開発して搭載したため、MT54系モーターとサイリスタチョッパ制御の組み合わせは実際この車両のみである)他にも定鉄線真駒内〜簾舞間の非シェルター区間を走るための711系に準じた電熱板(エリミネーター)式雪切り室、両引き扉レールの電熱化やエアカーテンの搭載、
地下鉄車両としては当時異例の大型スカートとスノープラウ、東急製狭軌台車初の円筒軸案内(シュリーレン)式台車TS910・920の採用等
「北国の地下鉄」らしい要素が随所に見受けられる。運転台は東急8500型と同じT字型ワンハンドルマスコンが採用されているが、併用軌道の走行も念頭に入れて設計されたこの車両がなぜワンハンドルを採用したのかは謎である。
試作車として二車体連接2両編成1本が1976(昭和51)年に製造された後、1977(昭和52)年11月までに二車体3重連6両編成8本。
試作車編成を6連化するための中間車4両の計52両が、さらに1981(昭和56)年に8両編成2本、全編成8連用の2両ユニット9本が製造されている。
その後、軌道関係などで東西線は600V電化、保安機器が省略されこの構想は幻に終わったが、1986(昭和61)年頃試験的に複電圧化された
4両編成が東西線を走行した事があると言う。本格的な鉄道車両が併用軌道上を走るケースは京阪京津線など実例が無いわけではないため
ある意味残念とも言える話である。(市電東西線は軌道法ではなく、鉄道法に基づいて敷設されている数少ない路面電車の一つ)
その後、南北線の新琴似延長にあわせて全編成8連化され、1990(平成2)年以降冷房化、塗装変更、車椅子スペース確保、トンネル内のツララ対策を兼ねた正面窓のポリカーボネート化などを経て現在に至っているが、南北線開業時の導入車は車齢30年に達しつつあり、2005(平成17)年以降随時5000系への置き換えが進められている。廃車車両の台車は市電東西線の新型車に転用されると言う話もあるが、現時点では噂の域を出るものではない。
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