高架開業・地下鉄乗り入れから20年が過ぎ、定鉄近代化の牽引役であった2400系も種車である東急5000系時代を含めると経年が40年を越え、老朽化による各種のトラブルを併発し、モノコック方式の宿命とも言える構体の経年劣化は修理でどうにかなるレベルではなくなっていた。
また、全長18mで幅の狭い車体ゆえに詰め込みが効かない事も石狩線開業により大通以北の区間の混雑が激化した南北線では運用側から不満が出、車体構造の関係上冷房化が出来ないことが市営1000型が冷房化され、石狩線開業に伴い札幌市営5000系同型である6000系が増備されたあたりから乗客側からも不満が出て来た。一部の2400系は6000系導入時に廃車されていたが、高コストの6000系は地方私鉄である定鉄に取っては2400系を総取替え出来る数を短期間に揃えるのは不可能であった。
そのため、石狩線開業を控えた2001(平成13)年末ごろから2400系の後継となる車両の選定が始まり、
案としては関東・関西大手私鉄からの車両譲渡・改造と6000系増備の二つが提案された。
収容力増強の観点から18m〜20m4扉で、気密性向上のための改造が可能な車両と言う点で選定されたのは
東急8000/8500系
小田急9000系
京王帝都6000系
東京都営地下鉄6000型
京浜急行1000型【旧】
の5種類である。
このうち本命と思われた小田急9000/京王6000は一段下降式窓採用による車体腐食が酷いため早晩に脱落。
東急8000系/8500系や都営地下鉄6000型も車体気密性向上、台車交換などの改造には手間隙がかかる事や編成分割で定鉄が難色を示している内に譲渡用の未更新車は伊豆急行や長野電鉄、はてはインドネシアなどへの海外輸出決定により必要な数を揃えられなくなった。
京浜急行旧1000型は当初は台車を711系廃車発生品のDT38に履き替えるだけで投入可能に思えたが、耐寒耐雪性向上のための改造費用が予想以上にかかる事や、2400系耐用期限となる2004年までに定鉄へ譲渡できる数に限りが有る為、結局流れる事となった。
このため、一時は6000系増備で固まりかけたのだが、意外なところから安価に入手できる車両の存在が有った。
JR東日本E231ベースの10000系導入に伴い、廃車が決定していた相模鉄道の5000系、2100系である。
5000系、2100系ともども旧型車両の車体更新車であったが、アルミ製車体へ更新している事や
5000系に至ってはVVVF制御化していた事、車体設計が良く、気密性も確保されていたことなどが挙げられる。
(実際に比較のため一両解体してみると、鋼体の腐食は殆ど無かったらしい)
問題は台車がパイオニア系列台車の流れを汲むディスクブレーキが車輪外側に飛び出した形式(東急TS817/816)であると言う事、さらに車体幅が約2890mmと1067mm区間では最大級と言って良い巨体である事だった。
これに関しては5000系、2100系共々JR北海道731系のN-DT731型台車同型品へ換装し、踏面ブレーキ化を行うと同時に両方とも6000系と同じ日立製VVVFインバータ及びモーターへと交換することで性能の統一化を図った。なお、同時期に真駒内以遠及び平岸支線用に導入された2700系(元南海電鉄22001系)との強調運転用に制御系の読み替え機が搭載されている。車体幅に関しては車両限界に関しては国鉄キハ56系(全幅2944mm)も入線していた定鉄の車両限界に合わせて設計された札幌市営ゆえに問題なしと思われたが、JR借り入れのオイラン車オヤ31による検査結果からカーブ上にある地下鉄幌平橋、平岸、石山東などはホームを削り、一部既存車両はステップを外付けする改造が施された。
また、床下機器類も2400系以来定鉄の伝統である普通鋼製の大型カバーが取り付けられ、相鉄でデビューした当時のボディマウント構造をおもわせる、ある意味先祖がえりともいえる改造が施された。
なお、パンタグラフも同時期にJR、市営、定鉄共々温暖化による雪質の変化で発生したパンタ下がり現象改善のため交換作業が進んでいたシングルアーム式パンタN-PS785A(剛体架線対応機能追加)へ交換されている。
真駒内南町駅にて5500系5501F
また、車体も特徴であった側面窓のパワーウィンドウは冬季の気密性確保の観点から車端部の一部を除いて固定式として前面はヘッドライト増設のため新7000系に類似した形状へ大規模な改造を施され、側面の行き先表示装置は大型化の上定鉄初のフルカラーLED化。雨樋はカバー取り付けによる埋め込み構造とし、スカートとスノープラウも取り付けられた。デザインとしては新7000系をモデルとしていたものの、4灯化されたヘッドライトや大きく張り出したひさし兼用の屋根など印象はよりいかついものであり、一部マニアからは「ロボコップ」とも言われている。車内もシート交換、JR431/731系同様のエアカーテン設置。車内情報装置の設置、暖房出力向上、グローブ式ベンチレータを711系冷房化による発生品の押し込み式ベンチレータへ交換、車体内部へ断熱材を充填、ドアの半自動スイッチの取り付け、全貫通部への扉設置などの大改造が加えられている。なお、これら改造用部品の殆どがJR北海道721系/731系、あるいは札幌市営5000系やJR東日本E231系と共用のパーツを用いて購入コストを低減している。
塗装は印象を変えるためあえてスノーフレイクホワイトに全塗装され、随所にパステルグレイと戦前期の定鉄標準塗装で有ったフェザントグリーンのブロックパターンを配した形をとっている。
5100、2100系は各系列10両編成2本。計40両が存在していたが(本来は41両だが、一両は車体検査のため解体された)
これを5両編成(3M2T)7本、計35両と部品取り用4両が2003年4月から2004年10月までに順次定鉄入りし、元南海高野線22001型改造の2700系2両編成5本(真駒内〜定山渓用および平岸支線用)と合わせて2400系を完全に置き換えた。定鉄入りに際しては編成分割だけではなく組み替えも行われており、2100系改造による3編成は先頭車(2604、2606、2608)の中間車化改造(サハ5510型)および5000系改造の編成も3M2T化のため中間付随車(5653/5654/5657/5658)の電動車化も行われている。なお車両そのものは無償譲渡であり、石狩線の経営収支がまだ赤字である定鉄としては新車購入資金が格安で済み、なおかつ殆どを改造につぎ込めて好都合であったらしい。
ホーム有効長の関係から普通列車は新琴似〜簾舞間限定運用となっているが、4000系に次ぐ収容力の高さと冷房完備と言う点は利用客からは好意的に見られているようだ
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