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01:定山渓鉄道  
定鉄2600系 車両解説

「大都市近郊私鉄」への脱皮を目指す、と言ってもやはり定鉄にとっては定山渓方面へ向かう温泉客輸送と言うのはフラグシップ的役割として重要であった。
同時に2400系は種車である東急5000系の確保可能な数に限りがあり、残存する在来車両は冷房改造と機器・台車交換で完全に新造車となった2300型(旧モ2301+2302)以外は地下鉄乗り入れは不可能。4000系はチョッパ制御とアルミ車体から来る製造コストの高さから数をそろえるのは無理だった。 そこで必要となったのが定鉄の運行条件に見合いつつ、低価格で導入できる汎用性の高い急行用車両である。それまで運行されてきた定鉄在来車で言うならばかつてのモロ1100型やクハ1200型のような高性能かつ回転式クロスシートなどの十分な接客設備を持つ車両と言うことになる。この条件に見合う車両としては京阪や阪急などの関西大手私鉄で優等列車用として運転されている2扉デッキなしクロスシート構造の車両が上げられるが、時期が悪いことに地下鉄乗り入れ基準を満たせるこの構造をした全鋼製特急車には余剰が出ていなかった。

一時期は新型30000系の投入によって廃車となる近鉄ビスタカーII世こと10100系の両端貫通型C編成からダブルデッカー車を抜いた2連接車を譲り受け、下回りは当時全車廃車が決定 していた国鉄157系のものに交換する方向で決定していたのだが、車体が寒冷地基準やA-A-A基準を満たしてない上に157系の台車を装着するのに大規模な改造を伴うと言う事、両端2扉デッキ付き構造が地下鉄乗り入れ時に客捌きの面で不安が残るなどの点で批判的な意見も出てきていた。
 結局定鉄・東急車輛と近鉄の間で調整がつかず、157系および181系の床下機器ならびに台車を基に新造車体を載せた新型車両を製造することを決定。 1977(昭和53)年12月に3両編成1本が、続いて簾舞〜定山渓温泉間の重軌条化およびATS化が完了した1983(昭和58)年に同じく3両編成3本が誕生した。

車体構造は当初18mクラスも検討されたが、床下機器搭載の関係で不可能なために種車と同じ20m車体のままとなった。またMcM'TsM'Mcの5両編成が最低編成単位であったものをMcM'Tcの3両編成とするためにクハ180の廃車発生品を用いたクハ2600が製造されることとなった。車体設計は伊豆急行100系更新車をベースにした片側2扉貫通型であるが、ラッシュ時の運用も考慮して2400系と両端扉の位置を合わせた幅1100mmの中間2扉片引き方式を取り、車内もデッキは持たずに温風暖房を用いたエアカーテンとガラスパーテイションによる仕切りのみとして種車のもの(AU12型)を流用した冷房機器を搭載。側面窓は一部を除いて国鉄特急車なみの2重固定窓を採用、関西私鉄の特急電車を思わせるいでたちとなった。定鉄内部には、かつて旧型車の車体更新で登場したモ2300型が非冷房でありながら完全固定窓を採用したが、夏場の暑さに乗客から猛烈なブーイングを受けていた(電車酔い対策に最初から車内に飛行機のエチケット袋を用意していたと言う笑えない話もある)事から固定窓の採用を不安がる声も有ったが、むしろ当時は北海道内において国鉄でも特急でしか装備してなく、観光バスでも稀であった冷房サービスを供給できると言う点でメリットの方が多いと判断したために採用となったが、地下鉄区間では冷房による排熱が駅停車時に問題となるため地上区間でのみの供給となった。下回りは制御機器を国鉄711系試作車で運用された床下機器カバー(パッケージ)を単位スイッチや抵抗器に設け、雪対策を徹底化している。これは制御機器の構成が似ている485系1500番台のトラブル続発を鑑みてのことであり、設計を最適化できたことで地下鉄1000系などのチョッパ制御車ほどではないものの、高い耐久性を実現することができた。

地方私鉄の優等車両としては水準以上の設備を持っているように思えるが、新規に搭載された床下機器は静止型インバーターと制御装置(市営1000系/定鉄4000系とあわせた東急式ワンハンドルマスコン)だけであることや座席は当時廃車が出たばかりの新幹線0系普通車の2列座席用転換式クロスシートのリサイクル品(表面モケット張替え済)であったりするなど、財政的に苦しかった定鉄の懐事情が垣間見える車両でも有る。
乗車時間の短さからトイレは設置されなかったが、各車両の後方右側は荷物の多い外国人観光客や冬季のスキー客を対象にした荷物置き場とするなどの観光用車両らしさを重視したつくりが随所に見られるのも特徴である。

定鉄本線定山渓温泉駅にて2601F
2601F 夏の定山渓温泉にて。(Illustrated By けつねうろん様(「け。」)

高架化開業と同時に3両編成2本が、オリンピックを目前にした1983(昭和58)年10月に3両編成3本が導入。この83年増備編成は顔が当時の流行にあわせて開口面積を増やしたスケルトンフェイスで登場し、冷房も国鉄14系500番台客車と同じものに交換、側面は連窓式パノラミックウインドウ化、屋根上の冷房装置は雪対策もかねてケーシングされている。現在も5500系の導入時に発生したVVVF装置を用いた制御機器の換装、冷房装置交換、自動販売機設置。座席を京急2100型と同じバケット型転換式クロスシートに交換するなどして急行・快速運用に就いているが、定山渓温泉方面は国道230号の整備によりマイカー・バスでの移動も多く、定鉄優等列車の立場は年々悪くなっている。石狩線には加減速度の低さから定期的には乗り入れておらず、またラッシュ時には幅広両引き扉デッキレスとは言え2扉であると言う点から客捌きの面で運用から外れる事が多い。さらにホームドア設置で扉位置が合わなくなることが判明していることから、急行用としては4扉マルチシート車および2扉クロスシート車の構成へ変更することが検討されており、この車両も先が長くないであろう。

■コメント■

本来、定鉄が生き残ったとしても専用編成による急行運転と言うのはありえなさそうですが、矢張り「札幌の奥座敷」定山渓へ向かう以上華が欲しいと言う事で急行用車両の登場とあいなりました。と、言っても丸っきりの新造車は市営1000系/定鉄4000系と言うものがある以上さすがに難しいので車体更新車と言う名目の新造電車です(笑)なぜ急行としたのかは乗車時間が札幌からだとしても30分かそこらで特急と言うのはおこがましいし、かといって快速では価値が薄いと言う事でイメージ的には京阪や阪急の特急に近い存在の料金要らずで気軽に乗れる優等列車としての急行。としてみました。
  車両そのもののイメージは上記の通り関西私鉄の短距離特急車両。かつて定鉄に居た地方私鉄としては異色の2等車モロ1100型の近代版と言ったところでしょうか?後は京急2000型や富山地方鉄道14760型なども意識しています。車内は休日のラッシュアワー対策も考慮してデッキなし両引き2扉。この時期に新幹線0系に丁度廃車が出始めていたので、転換クロスを頂くことにしました(笑)。JR線に721系がデビューした後だと不満が出てきそうですけど(汗)。台車や床下機器を157系、181系から流用と言うのはコストダウンと比較的北海道でも使えそうだと言う意味合いが有ったりします。まぁDT24Aのような空気ばねのベロウズむき出しの台車だったら凍らないか?とも思いますけど(汗)顔は第一次車は京阪3000系+西武5000系で721系を古くしたような印象を狙ってみました。
オリンピックを前に導入された2次車は100%181系ベースで、全面デザインは当時流行のスケルトンフェイスを意識してます。
  塗装は戦前期の定鉄標準塗装であるフェザントグリーンも考えましたが、この時期に懐古風塗装はないだろうと言うことで2400系+赤細帯でまとめてみました。

車両詳細
製造初年 1958(昭和33)年 台車形式

DT24A型/DT32型台車(動力)
TR58型台車/TR69D型台車(付随)

改造初年 1977(昭和52)年 電動機・駆動形式  MT54A(120KW)直流直巻電動機
  台車装加中実軸平行カルダン駆動
全長(連結面間距離) 19200mm パンタグラフ形式  PS102B(直流用下枠交差型)
全幅 2944mm 制御方式  電空カム軸/抵抗制御
全高(パンタ折り畳み面) 3656mm ブレーキ方式  CLE電気指令空気ブレーキ/発電ブレーキ併用
重量 39t(クモハ2600)/37t(モハ2600/260)
33t(クハ2600) 
在籍両数  3両編成5本計15両
乗客数(座席のみ)  50名(クハ2600/クモハ2600)
  55名(モハ2600)
備考  冷房装置搭載(AU11型改/後期型はAU14)
製造メーカー 東急車輛株式会社    
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