混乱期:オリンピック誘致失敗に始まる混乱
 
 
1966(昭和41)年4月、ローマで開かれたIOC総会において1972年冬季オリンピックの開催最有力候補と目されていた札幌市は
わずかな得票差で開催地の座をカナダのバンフ市に奪われる事になった。
これは約1年前、当時一年当たり500ドルまでと規制されていた外貨持ち出し制限をはるかに上回る金額の外貨を持ち出した門で
札幌市の職員が逮捕されたことから、札幌がIOCに対して賄賂活動を行っているのでは?と言う疑惑をもたれていたことも
無縁ではなかったと思われる。
このニュースは昭和16年の札幌大会返上以来32年ぶりのオリンピック開催を目指して誘致運動を行ってきた
札幌市民を大いに落胆させたが、さらにそれに追い討ちをかけるような事件が東京で起こっていた。 オリンピック開催を機に
積雪に影響されない新しい交通機関として建設免許申請を行っていた地下鉄の建設免許が却下されてしまったのだ。

「オリンピック開催が決まっていれば、観客輸送手段としての地下鉄整備が必要だが、いまだ人口が
100万人を超えるかどうかも解らない札幌に地下鉄を作る必然性が感じられない」と言うのが同時の
運輸省側の意見であったと言うが、同時に札幌市が立てていたプランを独自に分析していたシンクタンクが
札幌市と川崎重工が共同開発していたゴムタイヤを使用した運行方式では市内交通の分断化を招き
当時開発が進んでいた北広島市(当時は広島村)や江別市と連絡が出来ず30年後には膨大な量の赤字を
生み出す事になる、と言う判断がなされていた、と言うことも有ったらしい。
(国鉄千歳線沿線となる北広島団地以外にも、すでに北海道住宅公社による国道36号線沿いの
大曲地区に住宅団地と工業団地の建設計画があり、この地域の人口は最大2万人は住み着くものと
予想されたのだ)
これにより、札幌は沈滞ムードに包まれた。 さらに追い討ちをかけるように川崎重工と丸紅から「建設の可能性が無くなった地下鉄に対して技術協力を
することは出来ない」と技術支援を打ち切られる通達が行われた。
 アメリカで当時始まっていたAGTの問題点がいくつか明らかになり、川崎重工内ではエネルギー効率が悪く、建設費用が高価なAGTの開発に対する疑念が高まりつつあったのだ。
この時点で川崎重工が札幌市へてこ入れを行い、AGT方式を完成させていれば歴史はまた変わっていたかも
知れないが、この次点でそれまで約10年の歳月をかけて開発を続けていたゴムタイヤ方式はあっけなく消え去る事となってしまったのだ。
現在はこのとき試験が続けられていたゴムタイヤ式試験車両「はるにれ」が札幌市大谷地の札幌市交通博物館に
3次試作車「すずかけ」小樽市手宮の北海道交通記念館に保存されているのみである。

 地下鉄建設の可能性を絶たれた札幌市は、急遽地下鉄に代わる新都市交通プランを策定する必要に駆られる事となった。
1966年9月の定例市議会に提出された交通プランは十数種類にも及ぶ膨大なものが提出された。
その中で具体的なプランをクローズアップしてみると以下の5つがあげられる。

1.札幌市中心部へ向かう主要道路(国道5号線、12号線、36号線など)の全6〜8車線化。
2.真駒内→大通→麻生間都市高速道路の建設。
3.定山渓鉄道の市営化と下藤野までの複線一部高架化、国鉄函館本線苗穂→札幌間電化による国鉄札幌駅までの全列車直接乗り入れ
国鉄札沼線桑園→新琴似間の買収、電化。
4.市電主要区間の高架鉄道化
5.市電の大規模再整備、一部地下化
このうちプラン1、プラン2の道路整備計画は当時東京やアメリカで光化学スモッグが問題になっており
都心に流入する自動車の量が増加すると札幌でも同様の公害が発生する危険性があると言う意見が
出た上、自動車交通を活発化すると都心の人口が郊外に流出するドーナツ化現象の危険性が指摘され
また市街の道路拡幅や高速道路建設は用地買収の面から厳しい、と言う意見が出たため廃案となった。
また3の定山渓鉄道市営化と複線化は人口増加著しい平岸・真駒内方面からの交通手段として有効と
思われたが、すでに東急グループ傘下にある定鉄を買収することは難しいと判断された。
だが定鉄線の複線化に関しては定鉄側からも地下鉄計画廃案に伴って廃止か高架複線化の選択を迫られていた折
廃止して敷地を地下鉄用地として売却するはずが立ち消えになってしまったため、市の支援による高架化を打診する話も来ており
市として支援していく方向で固まることとなった。
札幌市交通局最終プランとして1968(昭和43)6月の定例市議会で決まったのが4.の市電高架鉄道化と5.の地下化の併用による市電近代化
プロジェクトであった。
このプランが市議会で可決された際、一部議員が都市高速道路建設に最後まで執着して市議会はおろか
道議会、国会まで巻き込んでの都市高速道路建設を訴えたが、この議員が北海道選出の国会議員へ行っていた裏金工作が
明るみに出てしまい、後のロッキード事件発覚につながるきっかけを与えていたのは皮肉である